文二郎帽子店ショップブログ
「横浜弁天通り」 date. 2024/03/21
皆様こんにちは、文二郎です。
今回は創業者西川仁平の妻、僕の曾祖母「西川きん」についてです。
通称きんばあちゃんは明治6年横浜弁天通り3丁目で生まれました。
これが明治10年代の横浜弁天通り。
出典:「レンズが撮らえた幕末明治日本紀行」ページ6、7
小沢健志監修 岩下哲典編者
2011年12月25日発行 株式会社 山川出版社
そしてこちら↓の画像が明治27年ごろの様子です。
https://yokohamapostcardclub.blogspot.com/2019/10/blog-post_69.html
サイト:横浜手彩色写真絵葉書図鑑:河北時計店 弁天通
このころの弁天通りは外国人向けの土産物店、日本人向けには
舶来品を売る店がにぎわいをみせていたそうです。
中央には河北時計店の時計塔がそびえ立っています。そして一番手前
象の看板が目を引く「福田屋」がきんばあちゃんの生まれた場所です。
福田屋は象牙芝山細工、刀剣類などを販売していました。
看板には「FUKUDAYA IVORY WORKS」とあり、
その下に小さく「郎太正 本宮」と書かれてあるのですが、
この宮本正太郎がきんばあちゃんの父親にあたります。
西川きん
しかしきんばあちゃんがいつ神戸に移って、
西川仁平と出会ったのか詳細は定かでありません。
西川家に残る戸籍などの資料をたどると、きんばあちゃんが
この家を残す努力をしていたことはよく分かります。
きんばあちゃんの最期は大阪で、僕が小学校5年まで一緒に暮らしていました。
福田屋のふとん袋があったことを今でも記憶しています。
いつか横浜弁天通りに行って、僕のもうひとつのルーツである
福田屋があった場所を訪ねてみたいと思っています。